アメリカズカップは、数あるヨットレースのうちで最も有名なもののひとつです。レースは12メートルのヨット2艇が7つの競技を通じて、熟練したクルーの技術、チームワーク、経験のすべてを注いで競い合います。
過去130年間に23回の挑戦を受けたにもかかわらず、アメリカは不敗を誇っています。
このアメリカズカップの起こりは1851年にさかのぼります。この年、イギリスで第一回万国博覧会の記念行事の一環として、ワイト等一周レースが行われ、アメリカからスクーナー「アメリカ」が参加しました。
「アメリカ」は14艇を押さえて勝利を飾り、カップを獲得しました。
1857年、「アメリカ」のオーナーたちはこのカップをニューヨーク・ヨット・クラブに寄贈し、2カ国の平和的な戦いによる優勝杯としたのです。
このとき、同時にカップ争奪戦のコース、船体、装備品のルールも定められ、これに変更を加える際には今日でも、ニューヨーク州の最高裁に申請し、許可を受ける必要があるのです。
以後80年間にニューヨーク・ヨット・クラブは16の挑戦艇を迎えて戦い、いまなお不敗を誇っています。
なかでも有名なのは、紅茶王トーマス・J・リプトンの後援による艇が5回にわたって挑戦し、カップをイギリスに持ち帰ろうと試みたことです。しかし、リプトンの「シャムロックJ世」から「シャムロックN世」まで、ついにその夢をかなえることはできなかったのです。
第2次大戦による中断の後、Jクラスの艇を建造することのできる挑戦者の数が激減し、一時はレースの再開さえあやぶまれるほどでした。
そんな情勢の中で1956年にいたり、イギリスのロイヤル・ヨット・クラブから12メートル・クラスの競技ができるなら再度挑戦したい旨の申し入れがありました。
最高裁に申請が出され、競技法に修正が加えられ、久々にレースが再開されたのです。
しかし、この変更にもかかわらず結果はやはり同じでした。12メートル・クラスのヨットの建造に関する規則は、非常に単純である一方、制限が厳しいため、完成されたヨットはどれも同じような形になるのです。
そこで、12メートルクラスのヨットの設計者達は新しい造船技術を用い、コンピューターによる徹底的なタンクテストを行い、重量、強度、効率性信頼性の完璧なバランスを見いだすべく努力を重ねたのです。
クルーに少しでも有利になるようにとの試みでした。
しかし、アメリカズ・カップの挑戦を受ける側のクルーにとって、過去20年間を通じて改良、あるいは交換することができなかった重要な装備がひとつあります。それはクルーの全員が腕につけている時計、ロレックス・オイスター・サブマリーナです。
長い時間をかけて手で組み立てられ、秒に至るまで正確な時を刻むクロノメーター。
オイスターの名が示すように、そのケースは何ものの侵入も許さず、激しいショックにも耐えぬきます。
また、ロレックス独自のトリプロック・リューズはオイスターケースそのものにしっかりとねじこまれ、ゴミや埃を寄せつけず、水深200メートリまでの防水が保証されているのです。
アメリカズ・カップに参加するクルーの全員がロレックスオイスターサブマリーナの品質を高く評価しています。
彼らは競技においても、身につけるものにおいても、常に第一位であるべきだと考えているからです。
|